「東映」が気になって仕方ない 1973 - 1982
最近、「東映」がとにかく気になって仕方ない。
きっかけは、映画会社「東映」と京都太秦撮影所の歴史が綴られている『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』(春日太一著/文芸春秋刊)。
この本によると、かつての東映には、50年代の時代劇、60年代の任侠もの、70年代の実録路線という大ヒットがあったという。
「時代劇」「任侠もの」「実録路線」と次々に大ヒットジャンルが切り替わるのには理由があった。
ジャンル映画を量産することにより、観客に飽きられてしまうのだ。
東映には、大ヒットと経営危機が数年おきにやってきていた。
その度、東映はイノベーションを繰り返し続けたのだ。
東映「水戸黄門 天下の副将軍」 1959年製作 美空ひばり他オールスター出演... 投稿者 spyagent0011
私が物心がついた、1973年頃のテレビは東映作品ばかりだった。
『仮面ライダーV3』『人造人間キカイダー』『マジンガーZ』『デビルマン』『ゲッターロボ』などは、東映とその系列会社の制作である。
当時の私にとって、東映とポピー(バンダイグループ)が2大ブランドであり、超一流企業だった。
東映の子ども番組は、超人的ヒーローが未来科学で悪を退治する構成になっている。
これは、東映得意の「時代劇」に「大阪万博」的なサイケやSFの皮を被せたものではないだろうか。
当時の東映の劇場では、子供向け映画を数本まとめて『東映まんがまつり』のタイトルで上映していた。
劇場内には、普段上映している大人向け映画のポスターが貼ってある。
あの赤黒いポスターが「最近、東映がとにかく気になって仕方ない」の壮大な前フリ、強烈な刷り込みになったのは間違いない。
当時、『東映まんがまつり』をやっていないときの劇場では、どんな映画が上映されていたのだろうか?
1973年に東映京都で制作された劇場作品は、ヤクザ映画の傑作『仁義なき戦い』(深作欣二監督)。
当時の東映は、時代劇ブームが去り、フィクショナルなヤクザ映画「任侠もの」にも陰りが出ていた。
『仁義なき戦い』は、実話を基に製作され「実録路線」と呼ばれた画期的な作品だった。
ここから数年間、東映は「実録路線」で盛り返すことになる。
実録路線には、『仁義の墓場』『県警対組織暴力』『日本暴力列島・京阪神殺しの軍団』『沖縄やくざ戦争』などの作品がある。
『仁義なき戦い』には同時上映作品があった。
『女番長』(鈴木則文監督)である。
【予告】女番長 投稿者 eigauploader
60年代後半から70年代前半の東映は、ヤクザ映画の併映として、後に「ピンキーバイオレンス」と呼ばれる暴力的なポルノ映画を量産している。
『温泉こんにゃく芸者』『狂走セックス族』『女番長タイマン勝負』など、凄まじいタイトルが並ぶ。
やがて、『仁義なき戦い』に代表される実録路線も終わりを迎える。
70年代後半からは、千葉真一主演の空手映画、『宇宙戦艦ヤマト』などのアニメブーム、角川書店主導の角川映画にシフトしていく。
さて、ここまで女性読者はまだ読んでくれているのだろうか?
女性読者にとっての東映映画は「暴力的でいやらしい」「とれを観てもワンパターン」「低予算映画をわざわざ観にいかない」といったところではないだろうか。
80年代になって、東映はやっと女性に向けた映画を製作する。
1982年、夏目雅子主演『鬼龍院花子の生涯』(五社英雄監督)は、大正から昭和の時代を女性目線で描いた文芸大作。
女性読者は、ここから東映入門されるのがよいと思う。
東映文芸大作は、池上季実子『陽暉楼』、十朱幸代『櫂』、名取裕子『吉原炎上』などがある。
これが70年代前半から80年代前半のほぼ10年。
東映の歴史は60年以上になるので、今回はほんの一部だけ紹介した。
「大衆食堂」「ジャリ掬い」「東映ハラワント映画」「東映の三角マークは義理欠く恥欠く人情欠くの三欠く」と揶揄された映画会社だが、間違いなく私の心のふるさとだと思う。
近年、東映の社長は「『相棒』あっての東映です。『相棒』が終わったら、東映は潰れちゃいますよ」と発言している。
『相棒』は、大泉学園にある東映東京撮影所の作品。
ライダー、戦隊、東映アニメーション作品も大泉である。
伝統の東映京都撮影所のHP(2014.4.24現在)を見ると、現在製作中の作品は、石塚英彦主演『刑事110キロ』のみのようだ。
「東映太秦映画村」のHPでは、映画村内での撮影予定が皆無。
これはマズい。
このままでは、京都太秦は「映画村」のアトラクションしか残らないかもしれない。
現在の東映は、何度目かの危機のようだ。
最後に、どのような手があるのか分からないが、私の心のふるさと「東映」がこれまで繰り返してきたイノベーションを期待し、東映京都撮影所の復活を望む。
頑張れ、東映!
